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宇宙と人

完璧な答えは存在するか?

割り切れない数字のような、曖昧な夜に

私たちは子供の頃から、テスト用紙には必ず一つの「正解」があると教え込まれてきた。1足す1は2。この単純明快なルールが、大人になった途端に通用しなくなることに戸惑うのは、あなただけではない。

多くの客がこのカウンターで、「何が正しかったのか」「どうすれば正解だったのか」と嘆いていく。だが、私に言わせれば、この世に完璧な答えなどというものは、カクテルのレシピのように明確には存在しない。あるのは、その時々の状況と、選んだあとの結果だけだ。今夜は、そんな割り切れない世界との付き合い方について、少し話をしようか。

正解という幻想を捨てる勇気

まず認めなければならないのは、人生における選択のほとんどはグレーゾーンにあるということだ。転職すべきか留まるべきか、結婚すべきか独身を貫くべきか。どちらを選んでもメリットがあり、同時にデメリットも存在する。Aを選べば100点満点で、Bを選べば0点、などという分かりやすい分岐点は、現実にはまずあり得ない。

完璧な答えを探し求めることは、ゴールのないマラソンを走るようなものだ。「もっと良い方法があるはずだ」「失敗したくない」と情報を集め、検討を重ねるうちに、時間は過ぎ去り、チャンスは逃げていく。この「正解中毒」とも呼べる状態は、思考を停止させ、行動力を奪う足かせになる。

完璧さを求めるあまり動けなくなるくらいなら、不完全でも一歩踏み出すほうが、よほど健全だと言えるだろう。この世は常に流動的で、昨日の正解が今日の間違いになることだってあるのだから。

真実を追い求める意味

では、答えがないのなら考えることを放棄してもいいのか。サイコロを振って決めてしまえばいいのか。それは違う。完璧な答えが存在しないとしても、真実に近づこうとする姿勢だけは捨ててはいけない。

なぜなら、深く考え、悩み、情報を吟味した上で出した仮の答えと、何も考えずに選んだ適当な答えとでは、その後の納得感が天と地ほど違うからだ。真実を追求するプロセスは、あなたの思考の筋肉を鍛え、物事の本質を見抜く目を養う。

これが絶対だと盲信するのではなく、現時点ではこれが最善だろうという根拠を持つこと。その知的誠実さこそが、不確実な世界で自分を見失わないための羅針盤となる。答えそのものよりも、答えを出そうともがいた軌跡にこそ、あなたの人生の価値が宿るのだ。

不確実な霧の中を歩くための暫定解

先の見えない時代、私たちは不確実な情報や状況とどう向き合えばいいのか。私からの提案は、暫定解(ざんていかい)を持って進むことだ。「これが一生変わらない真実だ」と決めつけるのではなく、「今のところはこれを正解として進んでみよう」と仮決めをするのだ。

そして、進みながら修正していけばいい。カクテルの味見をして、何かが足りなければビターズを一滴足すように、人生も走りながら微調整を繰り返すものだ。

間違っていたと気づいたら、その時に軌道修正すればいい。それは失敗ではなくデータの収集だ。不確実性を恐れるな。分からないからこそ、人生はスリリングで、味わい深い。最初から結末の分かっている映画なんて、観ていても退屈なだけだろう?

完璧な答えなんてない。あるのは、あなたが選んだ道を、あなた自身の手で正解にしていく過程だけだ。さあ、あまり難しく考え込まず、まずは目の前のグラスを空けてみてはどうだろう。その味をどう感じるか、それだけは紛れもない、あなただけの真実なのだから。